Christina in Red ~赤い服の少女~
1913年の夏、イギリスのドーセットにあるラルワース・コーヴで撮られた赤い服の少女の写真。そこには少女の名前とおぼしき"Christina"という文字だけが記されていました。
淡く霞んだ海を背景に、赤いマントを羽織って空を見上げるクリスティーナ。
撮影者はイギリスの高名なエンジニアで、オートクロームを用いたカラー写真の先駆者でもあったマーヴィン・オゴーマン(Mervyn O'gorman, 1871-1958)です。
彼が百年以上も前に撮った赤い服の少女──印象的な夢のような、その姿が一躍脚光を浴びることになったのは、今から10年ほど前のことでした。
2014年末~15年にかけて、ロンドンにある国立科学メディア博物館で開催された王立写真協会コレクションの展示会。ジュリア・マーガレット・キャメロンやアルフレッド・スティーグリッツ、現代アーティストのカルム・コルヴィンなどの写真に混じって、オゴーマンの写真も展示されました。
オゴーマンは生前、写真家として何処かに写真を発表したという公式な記録はありません。残っている作品もさほど多くはなく、一時的な趣味の範疇だったと推測されます。この時の展示もおそらくは、過去から現在に至る写真の歴史の一角、初期カラー写真の興味深い一例として選ばれたものでした。
もし、この展示が無かったら。赤い服の少女は、今も王立写真協会の倉庫で眠ったままだったかもしれません。それ以前に、もしオゴーマンが名士でなかったら、写真が王立写真協会のコレクションに加えられることすらなく、永遠に失われてしまった可能性もあったでしょう。
幸運にも写真は失われず、百年の眠りから覚めた少女が人々の前に姿を現すや、インターネットを通じて、その存在は世界中に知られることとなりました。
※ちなみにこれらの写真には、ほぼすべてに所謂“裏焼き”が存在しますが、これは誤りというよりオゴーマン本人が元の向きと左右反転したものとの両方を試してみたもののようです
背景の岩などから判断できる写真もあるようですが、私にはどちらが本来の向きなのか判断がつきかねるので、左右反転した2種類のものがあるということだけ補足しておきます
背景の岩などから判断できる写真もあるようですが、私にはどちらが本来の向きなのか判断がつきかねるので、左右反転した2種類のものがあるということだけ補足しておきます
カメラとは別の方向を見つめ、一度もこちらに顔を向けることのないクリスティーナ。 印象的な赤い服については、オートクロームで良く発色する色を選んだのだろうと言われていますが、この赤が写真のクリスティーナに神秘性をもたらし、より一層魅力的に見せています。 また、オートクロームの写真は色彩や質感のゆえに、どこか遠い記憶や夢のような雰囲気を感じさせるものですが、これらの写真はそれに加え具体的な時代を感じさせないという特徴も。これには彼女がまだ少女だったことも功を奏しているのでしょうか。服装にも佇まいにも、その時代らしい古めかしさは、あまり感じられません。 夢のような雰囲気はそのままに、時空を超えた新鮮さと普遍性を合わせ持った作品になっています。 |
ファッションフォトとして現代の雑誌の1ページを飾っていても違和感がなさそうな写真
珍しく笑顔のクリスティーナ
この2枚も、どちらかが左右反転しているということですね
ところで。"クリスティーナ"とは何者だったのでしょうか。
当初、彼女は撮影者マーヴィン・オゴーマンの娘だと思われていました。それが後にオゴーマンに娘はいなかったことがわかり、ネットではクリスティーナの身元探しが始まります(その当時、人々が彼女の身元について考察を繰り広げた痕跡は、今でもネットのあちらこちらで見ることができます)。
しかし、手がかりは何も見つからず、クリスティーナの素性は謎のままでした。
一気に状況が変わったのは、その少し後。
スティーブン・リドルという元エンジニアの男性(当時73歳)が、マーヴィン・オゴーマンが撮った未発表のスライドを持っていると国立科学メディア博物館に連絡してきたのです。それはリドル氏が義父から譲り受けたものでした。
そのうちの1枚には、まさにあの幻想的な写真が撮られた1913年8月の日付があり、ラルワース・コーヴを臨む3人の女性の後ろ姿に「クリスティーナ」「デイジー」「アン」の説明文が付けられていました。
左から、クリスティーナ、デイジー、アン
そして、1913年6月の日付の入った別の1枚には「デイジー・ベヴァン」と(彼女の)「子どもたち」が「鳥を見ている」光景が。
デイジー・ベヴァン(1871-1935)は、著名な哲学者で比較宗教学の著述家、ロンドン大学キングス・カレッジの講師でもあったエドウィン・ベヴァン(1870-1943)の妻でした。正式な名前はメアリー・ウォルデグレイヴ・ベヴァンでしたが、家族や親しい友人からは“デイジー”と呼ばれ、クリスティーナ(1897-1981)とアン・コーネリア(1899-1983)という名前の2人の娘がいました。
しかも、チェルシーにあったエドウィン・ベヴァンの家とマーヴィン・オゴーマンの家は徒歩2分という近さ。
赤い服のクリスティーナがエドウィン・ベヴァンの長女クリスティーナであることは間違いなさそうでした。
ベヴァン一家とオゴーマンがどういう繋がりだったのかはわかっていませんが、愛称で呼び合い、小旅行に同行して娘たちの写真を撮影しているくらいですから、家族ぐるみで親しく付き合っていたのは確かでしょう。
チェルシー・エンバンクメント6番地の自宅前で馬に乗るアン・コーネリア(クリスティーナの妹、フルネームはアン・コーネリア・ファベル・ベヴァン)
後方で見守っているのが、アン・コーネリアとクリスティーナの両親であるエドウィンとデイジー夫妻
クリスティーナのフルネームは、"クリスティーナ・エリザベス・フランシス・ベヴァン"。
1897年にロンドンで生まれ、ラルワース・コーヴでの撮影の時は16歳でした。
英国初の女子向け高等教育機関であるロンドンのベッドフォード・カレッジで、倫理学、ヨーロッパの歴史、ラテン語を学んだクリスティーナは、その後ヨーロッパ各地を旅し、アメリカにも何度も行っていたそう。
結婚はせず、子どもも持たず、両親が亡くなるまでは両親と暮らし、晩年はバッキンガムシャーのストーク・ハモンドに移住。村の行事の企画に関わったり、日曜学校で教えるなど、ここでも積極的に活動していました。
時空の彼方に儚く消えたと思われた少女は、実際には聡明で活発な女性に成長し、84歳で亡くなるまで確かな自分の人生を生きていたのです。
一方、妹のアン・コーネリアは結婚して2人の子どもがいましたが、ひとりは早世、もうひとりも2008年に76歳で亡くなっています。
しかも、アン・コーネリアは、長女を亡くした1943年には既にカナダに移住していたようで、2015年に赤い服の少女が話題になった時には、ロンドンでのベヴァン一家を知る者は、もう誰もいなくなっていました。すぐにクリスティーナの身元がわからなかったのもそのためでしょう。もしもオゴーマンのスライドが出てこなかったら、永遠に謎のままだったかもしれません。
クリスティーナという、ひとりの女性が生きた有限の人生。彼女の実在が再び人々の記憶から失われてしまったとしても、その人生の一瞬を焼き付けた写真は生き続けるのでしょう。それを目にした人の中で、幻のような永遠として。
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